その日の夜。 時間は深夜4時。 昨日と同じように俺は大聖堂内をエルマの騎士達と巡回して回った。 1時〜3時までの間はライカさん以外の騎士と共に行動した。 そして、現在深夜3時過ぎ。この時間帯はライカさんの担当だ。 だが、昼にアーネスカと打ち合わせたので、ここで俺がライカさんと行動するわけには行かない。 ライカさんがボロを出すかどうかはわからないが、俺とライカさんが行動していては恐らくライカさんは行動を起こさない。 だから俺はライカさんとは行動しない。 その代わり大聖堂の扉の前にいる2人のエルマの騎士達と一緒に俺と火乃木も立つことにした。理由は侵入者を捕まえるためと言うことで了解してもらっている。 そしてライカさんは既に大聖堂内の巡回を始めている。 もちろん無意味にそんなことをするわけではない。あることを試すためだ。 火乃木は通常の人間よりも鋭い嗅覚を持っている。 ライカさんがもしエルマ神殿内で何かを起こしたらそのとき、火乃木が感知できる臭いがより大きくなるのではないかと言う考えあってのことだ。 もし、火乃木がライカさんから感じ取った生臭い臭いをより強く感じることが出来たとしたら、ライカさんが大聖堂内で何かしら行動をしている可能性が高い。 その時に俺と火乃木が大聖堂内に入りライカさんを取り押さえ、何をしようとしていたのかを問い正せばいい。その証人となるのが、ここで行動を共にしている2人のエルマの騎士と言うわけだ。 これが成功すればライカさんが犯人である可能性が高まる。いや、上手くいけばこれで事件を解決できる可能性もありうる。 で、俺と火乃木は大聖堂前のエルマの騎士達と共に門番をしているところなのだ。 既にライカさんが巡回を開始してから十五分経過している。 「火乃木、どうだ?」 「まだ……何も感じない……」 「そうか」 ライカさんが行動を起こすときと、火乃木が感じた臭いは無関係なのだろうか? そうだとしたら、新たに作戦を考えなければならないのだが……。 火乃木は自分の嗅覚に神経を集中させている。大聖堂内は広いから、臭いが分散して上手く嗅ぎ取れない可能性あるかららしい。 まあ、犬じゃあないんだからその辺は仕方ないだろう。 俺達は火乃木が臭いを感知するのを辛抱強く待つしかないのだ。 それからさらに二十分ほど経過したころ。 「こ、この臭い……!」 「! 火乃木!?」 「間違いない! レイちゃん! あの臭いだよ!」 どうやら火乃木の嗅覚は例の生臭さを感知したようだ。 なら! 「行くぜ!」 「うん!」 俺と火乃木は重い扉を開けて、大聖堂内へ突入する。その後ろには元々大聖堂の門番をしていた二人のエルマの騎士もついてくる。 大聖堂内は暗く、月明かりだけが大聖堂を照らしている。 「火乃木、明かりだ!」 自らの魔術師の杖を構え、火乃木が叫んだ。 「ライト・ボール!」 実にシンプルな名称の魔術。長ったらしい呪文の詠唱が必要ないのは杖自身が呪文を覚えてしまっているため呪文を唱えることを省略することが出来るからだ。 火乃木の杖から放たれた光り輝く光球によって大聖堂全体が照らし出される。 すると……。 「な、なにアレ!?」 「さあな!」 大聖堂の中心に真っ赤なスライムみたいな物体が粘土のように形を変えている。これが何なのか説明できる者はこの場にはいない。 その赤い『なにか』が人のような姿に変形していく。いや、人の姿と言ってもいいだろう。 筋骨隆々の男の姿になった『なにか』が俺達を見る。 生気をまったく感じさせない目で……。 これが、エルマ神殿に侵入していた何者かの正体? 「ど、どうするの!? レイちゃん!」 「殺《や》るしかねえだろ!」 『な"……』 『なにか』が言葉らしきものを発する。 『な"ぜ、に"ん、げん』 それだけ言って、目の前の『なにか』が大聖堂の右階段に向かって走り出す。 「逃がすかよ!」 俺は全身を低くし走り出す! 「一撃必蹴!」 最速で奴の横ッ腹目掛けてとび蹴りを放つ。 俺の蹴りは『なにか』の腹をモロに直撃し、大きく吹き飛び、倒れ伏す。 しかし、ダメージは対してなかったようで、『なにか』はゆっくりと起き上がる。 『ブァ、ブァ、ブァ、ヴァ"""""!』 なんだこいつ!? ひたすら意味不明な言葉(?)らしきものをぶつぶつと言いながら起き上がる『なにか』 そう思った瞬間、『なにか』の右腕がまた粘土のようにグニャグニャと形を変え、カニのハサミのようになった。 と言っても実際目の前にいる男のハサミはカニのそれとは大きさがまったく違う! 挟まれた確実にアウトだ! 『なにか』のハサミは俺目掛けて凄まじいスピードで突っ込んでくる。 「うおおおお!」 後ろに跳び、それを回避する。同時に火乃木の呪文が火を噴いた。 「ボム・ブラスト!」 4つの火炎球が発射され、『なにか』の顔を直撃する。その瞬間爆発が起こり、『なにか』は怯んだ。 爆煙が広がり、『なにか』の姿が見えなくなる。 だが間髪入れず、『なにか』は爆煙を突き破り、巨大なハサミを前面に突き出して火乃木に向かって突進してきた。 「火乃木よけろおおおお!」 「!」 「危ない!」 その途端、行動を共にしていたエルマの騎士が火乃木を突き飛ばした。 「わっ!」 次の瞬間……! 「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」 『なにか』の巨大なハサミは火乃木を突き飛ばしたエルマの騎士の左腕を襲った。 響き渡る断末魔。 ハサミは彼女の左腕をがっちり掴みそのまま体を持ち上げたのだ。 幸い切断はされていないものの、ハサミは肉を切り、骨に当たってそれ以上切断出来ない状態になっている。 あの状態を無事とは言えない! 今は完全に切断されていなくても最終的には切断しなければならない可能性も……! 「ヤロオオオオオオオオオオオ!!」 俺は咆哮をあげて、走り出す。そして『なにか』の右腕目掛けて蹴りを放った。 足に鈍い感触。しかし、衝撃は伝わったようで、『なにか』のハサミはエルマの騎士の左腕を離した。 「医療班……いや医者だぁ! 急いで医者へ連れてけ! 火乃木はこのことをエルマの騎士達に可能な限り伝えろ!」 俺はもう一人のエルマの騎士と火乃木に言い放つ。 「は、はい!」 「…………」 「火乃木!」 「!」 「ボーっとするな! 死ぬぞ!」 「う、うん!」 半ば放心していた火乃木に渇を入れる。 「もう一度言うぞ! 外へ出て他のエルマの騎士にこの状況を伝えて来い! いいな!」 「わ、わかった!」 火乃木と二人のエルマの騎士は大聖堂から出て行く。 これで大聖堂内にいるのは俺と目の前にいる『なにか』のみ。 よし、今なら……! 『ブァ、ブァ、ブァ、ブァ、ブァ!!』 「お前は……潰す!」 俺は自分の右手に魔力を集中させる。右手の平が白い光を放ち、そこから剣が出現した。 俺のイメージと魔力によって生み出す魔力の結晶。これによって作り出された武器は本来の武器よりあらゆる意味で数段劣る。その上この魔術で生み出した剣は俺が維持しようとしない限り霧散して消滅していしまのだが、一時的に戦闘を行うのなら十分だ。 その剣が現れると同時に握り、前傾姿勢で走り出す。 『なにか』はさっきから意味不明な言葉を発しながら、悠然と構えている。 血に染まったハサミは俺を切り裂こうと俺に向けられている。 『なにか』の動きを上手く回避し、すれ違いざまにその腹を切り裂く。 俺はすぐさま振り向き、いつでも走れるように体勢を整える。 腹を切り裂かれた『なにか』は顔を歪めている。それが苦痛によるものなのかどうか判断がつかない。 『お、オデ……。ムン、ムムムムムム……""""」 「……!?」 『ガガガガガガガ!』 『なにか』は意味不明な叫びを上げながら、俺のいる方向とはまったく違う方向に走り出す。 それは大聖堂の右階段だった。 「野郎! 逃げる気か!」 そうはさせない! エルマの騎士に重症を負わせ、この事件の元凶(?)たる存在をこの場から逃がすわけにはいかない! 『なにか』の後を追い俺は右階段へ向かう。 『なにか』はひたすらに階段を上る。俺よりも逃げ足が速く、とても追いつけない。 「くっ……逃げられる……!」 三階に上ったところで、俺は『なにか』を見失った。 同時に火乃木のライト・ボールの効果が切れ、暗闇が訪れた。 「ちくしょう! 暗くなっちまった。こんな状況であんな正体不明の奴を探すことなんて出来るのか!?」 苛立ちと焦りが俺の心に影を落としていく。 くそ! くそくそくそくそ! ……逃げられたのか。 「鉄様?」 「!!」 俺はさっき生み出した剣を、声がしたほうに構えた。 そこには、魔術師の杖によって生み出されたライト・ボールの明かりを頼りにゆったりと歩くライカさんがいた。 「ライカさん……」 「どうされたのですか? 鉄様?」 「それは……こっちの台詞だと思いますがね……」 さっきの化け物、アレをこの女が操っていたとしたら、この女が犯人と言うことになる! いやそうに違いない! エルマの騎士の断末魔だってこの大聖堂内響いていたんだ! ここにいて聞こえないはずがない! 「……どういう意味でしょう?」 凄んでも態度が変わらない。 飄々としやがって! この女! 「どういう意味も何も、今の化け物はなんです? 何故こんなことをする? いや、何が目的だ!?」 俺はどうにか感情を抑えながら言うが、それでも昂《たか》ぶる興奮を抑えることはできない。 「く、鉄様……?」 ライカさんは瞳に涙を浮かべる。 「何のことか……私《わたくし》にはさっぱり分かりません」 目に涙を浮かべるライカさん、いやライカ。口でなら何とでも言える。 「俺は……あんまり気が長いほうではありませんよ……」 低い声で凄む。それが効果的でないことは分かっている。だが、俺の心に宿る怒りはそうさせるには十分過ぎた。 「本当にわからないのです! 鉄様……どうかお許しください。何があったのですか!? 一体何が!? 私《わたくし》に出来ることならいかなることでも協力いたします……。ですから……。その剣をお納め下さい…………お願い致します……!」 次第に涙声になり嗚咽を漏らし始める。 グズグズと泣きながらそう懇願するライカに対して俺は思う。 ムカつく……と。 何でそんな演技が平気で出来る! 何がそうさせる! エルマの騎士はこんなことさえ平気で出来ると言うのか! その涙は一体何のための涙だ!? 自らの許しを請うための涙か!? 自分のためにしか涙が流せないのか!? 大聖堂で火乃木をかばって、左腕に重傷を負ったエルマの騎士のことはどうでもいいのか!? アレだけのことがあって、何事もなく巡回していたなんて言わせない! 「く、鉄様……?」 「……あんたの罪は……裁かれるべきだ!」 俺はエミリアス最高司祭に事情を説明しに行こうと踵《きびす》を返す。 「お待ち下さい鉄様!」 「なっ!?」 ライカが俺の肩を掴み無理やり俺を振り向かせる。 「放せ……うおっ!?」 その瞬間俺は脚を滑らせ、仰向けに倒れる。同時に手から剣が落ち、俺の上にライカが覆いかぶさってくる。 「鉄様……」 「くっ……! 俺は身構え、睨みつけた。 怒りや憎悪で血が今にも沸騰しそうで仕方がない。そんな状況なのに……何故だ……。 ライカの水晶のような濁りのない瞳に見据えられて動けない……! 「鉄様……貴方様がどれだけ苦しんでいるのか、私には想像もつきません……」 苦しんでる? 俺が!? ふざけるな! これから裁きを受けて苦しむのはあんたなんだよ! 「私《わたくし》は、エルマの騎士として、人に慈悲を与え、人を愛する心と、人に……奉仕する精神を学びました。それが高潔とはいいません。ただ……そのような苦しみにとらわれてしまった貴方を……私《わたくし》はほおっては置けない!」 「……いい迷惑だ」 「たとえそう言われても、鉄様の苦しむ顔をもう見ていたくないのです! 怒りや憎しみにとらわれた人間がどれほどの精神的重責や苦しみを背負うことか……」 「何が言いたい……」 「私《わたくし》がいかなる罪を犯したのはわかりません。分かるのは、鉄様の怒り、憎しみ、殺意の矛先が私《わたくし》に向けられていることだけ……」 当たり前だろ! 「ですが鉄様、私《わたくし》は本当にわからないのです! ですから、私はどのように罪を償えばいいかはわかりません! ですから……せめて……」 「……なんだよ」 ライカの頬が真っ赤に染まる。何を言うつもりなんだよ! 「……貴方様の負の感情を沈める手伝いを……この……体でさせて下さい……」 「なっ!?」 この女……! 体で無実を訴えるつもりなのか!? そこまでするのか!? 出会ってから二日した経ってないのに、恋愛感情も何も存在しない間柄である俺に……! 自分の無実を証明するために体を捧げようと言うのか!? 「殿方と肌を合わせるのは初めてなのですが……」 「やめろ……!」 色気ってのは時に暴力だ。男を欲情させ、理性を破壊する暴力だ。 ライカが体をゆっくりと俺の体にのしかかってくる。心地よい膨らみの感触や体温が伝わってくる。 そして、ライカは俺の唇に自らの唇を重ねた。 俺の理性のたがが崩れ始める。 やわらかい唇。 逆らえない……。ここまでしてるんだぞ? ライカは本当に知らないのかもしれない。 このままライカに身を委ねれば、きっと俺は最高の快楽を得ることが出来るに違いない。 いや! そんなこと考えるな! 俺の正義は? 信念は!? 俺の誇りはどうなる!? なんのために恋愛をしないと誓ったと思ってる!? なんのために育ての親の元を離れて世界中を旅する決意をしたと思ってる!? 少なくともこんなことをするためじゃない! ライカの行動によって俺の理性が破壊される。肉欲への衝動ばかりが押し上げられていく。 「鉄様……」 重ねられた唇を離し、妖艶なる瞳で俺を見つめるライカ。 ゾッとした……。暴力的なまでに俺の心を支配していく肉への欲望。 これは俺の理性の、正義の、信念の破壊に他ならない。 そう、破壊! 破壊だ!! 「うああああああああああああああああ!! やめろおおおおおおおお!!」 そんな色気《もの》に惑わされてたまるか! 俺の正義を、俺の信念を、そんな色気《もの》で破壊されてたまるかぁ! 俺はライカの額を鷲掴《わしづか》みにしてライカの体を突き放した。 「きゃっ!?」 俺は立ち上がる。性欲が危うく爆発しそうになっていた自分に気づく。心臓がバクバクいってるのが分かる。男である自分がこれほど嫌に感じたことはなかった。 「く、くろが、ね……さま……」 少しずつ冷静さを取り戻してくる。と、その時。 「今の声は!」 「レイちゃん! レイちゃん! どこにいるの!?」 火乃木や他のエルマの騎士達の声が聞こえる。 そうか、火乃木が人を連れてきたのか。 「俺は……行く……!」 「うっ……く……」 「俺に愛は……いらない……」 俺はそれだけ言い残してそそくさとその場を後にした。 |
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